先日、丁寧なコメントを下さった方の内容より思い出しました後藤静香さんの句。
言いたいことはある
しかし
言ってはならぬ時がある
したい事がある
しかし
してはならぬ時がある
種をまくにも時がある
刈り入れるにも時がある
その時を見出す力、見極める力はもちろんですが、思い立ったように行動する前に、一旦停止してでも、落ち着いて考えられるよう自分を律せれば、また違うのだろうなと。
『三日待て』 ・・・ 素晴らしい言葉だと思います。
そして、『エース・・・』素晴らしい作品ですよね。
漫画から学ぶこと多いと思います。日本特有であり、世界でも大きく取り上げられている文化の一つ。
私も読み返したいと思いました。
しかし
言ってはならぬ時がある
したい事がある
しかし
してはならぬ時がある
種をまくにも時がある
刈り入れるにも時がある
その時を見出す力、見極める力はもちろんですが、思い立ったように行動する前に、一旦停止してでも、落ち着いて考えられるよう自分を律せれば、また違うのだろうなと。
『三日待て』 ・・・ 素晴らしい言葉だと思います。
そして、『エース・・・』素晴らしい作品ですよね。
漫画から学ぶこと多いと思います。日本特有であり、世界でも大きく取り上げられている文化の一つ。
私も読み返したいと思いました。
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- やってみせ 行って聞かせて させてみて 褒めてやらねば人は動かじ -
- 苦しいこともあるだろう 言い度いこともあるだろう
不満なこともあるだろう 腹の立つこともあるだろう
泣き度いこともあるだろう
これらをじっとこらえてゆくのが男の修行である 「男の修行」 -
山本五十六 26.27連合艦隊司令長官 (日独伊三国軍事同盟や日米開戦に最後まで反対した)
『男の修行』はともかく、時にこの言葉を何度も反芻し、自分に言い聞かすことがある。
呪文のように何度も繰り返し、自分を制すように繰り返す。
繰り返さねば、やれないのは自分に未熟さがある故と言い訳するのは簡単だが、
もうひとつ、ここに付け加えるのであれば、
『孤独に慣れろ』
これに慣れず、つい寄りかかりたくなる。
踏ん張りが足らないのか。
それが限界なのか、
それさえも自分でわからない。
巡回する言葉。
痛い言葉でもある。
日本の有名な焼き物の一つに萩焼がある。
土の味わい豊かな独特の風合いと使いこなす毎に増す光沢や手触りは焼き物が好きな人間には魅力的な焼き物と思う。
この萩焼の歴史。
背景を見ると、豊臣秀吉の時代にさかのぼる。
この当時、朝鮮との戦いが続き、互いの国々は疲労しきっていた。
捕虜同然に連れ帰られた朝鮮の焼き物技工士達。
故郷に帰る日を夢見つつ、だが、それは叶わぬ夢と嘆き悲しみながら、思いの丈を焼き物へ託し、作り続けた。
この萩焼に似た焼き物は今でも朝鮮半島窯焼きに名残を残している。
当時の焼き物がもし残っているならば、国宝級とも思えども、むしろ、その破片の一つも海を渡り、生まれ故郷に埋めてやりたいと思うのは思い上がりなのだろうか。
土の味わい豊かな独特の風合いと使いこなす毎に増す光沢や手触りは焼き物が好きな人間には魅力的な焼き物と思う。
この萩焼の歴史。
背景を見ると、豊臣秀吉の時代にさかのぼる。
この当時、朝鮮との戦いが続き、互いの国々は疲労しきっていた。
捕虜同然に連れ帰られた朝鮮の焼き物技工士達。
故郷に帰る日を夢見つつ、だが、それは叶わぬ夢と嘆き悲しみながら、思いの丈を焼き物へ託し、作り続けた。
この萩焼に似た焼き物は今でも朝鮮半島窯焼きに名残を残している。
当時の焼き物がもし残っているならば、国宝級とも思えども、むしろ、その破片の一つも海を渡り、生まれ故郷に埋めてやりたいと思うのは思い上がりなのだろうか。
雪の中の鶴ヶ城(2006年1月 筆者撮影)
会津藩士の子供は、10才になると「日新館」への入学が義務づけられるが、その以前、6才頃から子供達には藩士としての心得が繰り返し教え込まれた。
朝起きると、先祖の霊を敬い(仏壇への拝礼)、そして、切腹の作法の練習等。そして有名な「什の掟」。
会津藩士の基本精神が幼少から叩き込まれる。
「什の掟」
一 年長者の言うことに背いてはなりませぬ
二 年長者にはお辞儀をしなけれはばなりませぬ
三 虚言を言うことはなりませぬ
四 卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五 弱い者をいぢめてはなりませぬ
六 戸外で物を食べてはなりませぬ
七 戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです。
戊辰戦争(会津戦争)では多くの悲劇が言い伝えられている。
また、その一ヶ月ほど前には『二本松少年隊』(数え13歳~15歳)が同じく若き命を無残に散らしている。
歴史にして、わずか140年ほど前のことである。
また近年(平成に入ってから)、この白虎隊の生き残られた隊士の方が書かれた『戊辰戦争における鶴ヶ城篭城』の様子を克明に記したものが発見された。歴史家はおろか、家族のものもほとんど知らなかった事実が書かれていた。
雪景色に溶け込む姿は何にも比喩し難くも、その背景の悲劇・歴史に触れるたび胸の奥が痛んでならない。
だが、私は、この鶴ヶ城が日本で一番美しい城だと思っている。
この城の美しさに魅入られ、また足を運ぶと思う。
山口県に、この白虎隊に由来する絵がある(山口県萩市唐樋町 白虎隊自刃図)。
作者不明だそうだが、次回、山口を訪れたときには是非見たいところである。
富士の頂角、広重の富士は八十五度、文晃の富士も八十四度くらい、けれども
私には誇るべきものは何もない。学問もない。才能も無い。
肉体は汚れて 心も貧しい。
けれども、苦悩だけは経てきた。
たった、それだけ。
藁一筋の自負である。
けれども、私はこの自負だけははっきり持っていたいと思っている。
わがままな 駄々っ子のように謂われてきた私の裏の苦悩を
一たい幾人知っているだろう
太宰治 作『富嶽百景』より一部抜粋
その自負さえも自分にはあるかと問えば、やはり塵にも満たないつまらないものしかないのかも。
だからこそ、生きてるのだろうけど。