忍者ブログ
水を飲まんと欲するものはその源を思え
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

今、ニュースを見ると政治家の口から出る言葉にたまに辟易とするときがある。
政治評論をする気もないし、特定の政治に大してどうこういうつもりもない。

「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず」

故人 田中正造氏の言葉である。

かの有名な足尾銅山の公害事件に対し、明治天皇に直訴までした衆議院議員だ。
服装など華美なものは何もなく、死の直前には財産らしいものなど何一つなく、最後まで村民のために尽力を尽くした人物。

村民の声を聞き、声を出し、議会で発言する。
まさに体現とはこのことではないだろうか。

長いものに巻かれることなく、本当の声を代表して語る彼を私は尊敬する。

有言実行
体現

まさしく彼そのものではなかろうか。
公害事件は簡単な道のりではなかったが、その姿勢。

今、そんな人を見た記憶は・・・・。
PR
歴史上消し去ることのできない負の事象がいくつもある。
当然、戦争はその中のひとつであるが、記憶に刻まれ、消すことのできない出来事。

ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)がある。
いくつかの資料等はいまもなお、出版、あるいは被爆経験を語り継ぐかのように世に叫び続けている。

過去を見ないで未来は語れない。

私の中で、常に思うことである。

特にこの終戦時期になると、それが頭にこびりつき、ついその手の資料を読みむさぼる自分がいる。
なぜ?と聞かれればいまだに自分でもわからない。

アドルフ・ヒトラー作 『我が闘争』 上・下(角川文庫)

まだ読み終えてはいないが、読んでいるうちに同化している自分がどこかにあるのではないかと思うと怖くなり、なかなか活字を追うことができずに読み終えることができない本。

あまりにももっともらしい彼なりの解釈がそこにあるから。
正当にも思えるから、全部読むことが難しい。

(稚拙且つ微弱な自分の精神力か?)

もうひとつ、対照的に読んだ本。

『戦争責任・戦後責任 -日本とドイツとどう違うか-』 (朝日選書)

違うように見えるが、どちらも侵略者には変わりはない。

特筆すべきは戦後のそれぞれの被害者への対応の違い。

戦争は誰が起こしたか?
責任とはどこに当てはめるのか?
被害者はだれか?

それをどこで判断するのか?
軍人恩給の支給は今もある。
当然これらは国民の税金から捻出されている。

中には軍人ではない、との理由から支給されない人もいる。

今なお、議論となる極東軍事裁判。


8月のこの時期になるとこの手の内容が頭から離れなくなる自分。
自分はどこまで、それを追い続けるのか?
何を捜し求めているのか?

いずれにしても、過去を知らずして未来は語れない。
子供たちにも語り継がねばならない。

そう思う8月のこの時期・・・。

あまり政治にどうこういうつもりもないし、どこの党、誰を支持するという考えもあまり持っていない。
持っていないことを言うことは決していいことではないが、もしいえるとしたら、思い出す人がいる。

そのうちの一人。

アクトン卿
ジョン・ネメリク・エドワード・ダルバーグ=アクトンJohn Emerich Edward Dalberg-Acton
(1834年~1902年)

イギリスの歴史家・思想家・政治家。初代アクトン男爵(1st Baron Acton of Aldenham)
(参考資料:ウィキペディア)

Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely. 
(「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する」

日本人でも田中正造氏のように資財を擲って最後まで自分の信念を貫いた偉大な方ももちろんいるが。さて、今の政治家と呼ばれる方は上記のことがいえる人が果たしているのだろうかと思うと、正直・・・。と思ってしまう。というか、思わざるを得ない部分が多い気がする。

・・・選挙ばかりのニュース。溜息が止まらない・・・。
-恋水-

恋のために流す涙の意。
耳に心地よい響き。
自分の若い頃の感情が湧き出すような、そんな言葉。
 
生物学上でも『恋する乙女は美しい』という根拠が挙げられている。
瞳の中、いわゆる瞳孔がわずかに開き、瑞々しく輝いて見えるらしい。また、それは相手に対する好意によっても開くらしく赤子が母親の顔を見るだけでも数割ほど瞳孔が開くという結果もでているそうだ。
 
言われてみれば、恋に夢中になっている人を客観的に見ると、とてもきらきらしているかもしれない。
相手を見つめているときの明るい表情は他人が見ても
「ああ、この人は恋をしているのだな」とわかるから、面白い。
 
ただ、この言葉、実は万葉集で使われた「変水―おちみず―」(若返りの水)の誤写が始まりらしい。
 
  我が手本まかむと思はむますらをはをち水求め白髪生ひにたり
 
この歌の「をち水」が写し違えで・・・といえば、なんとも釈然としないでもないが、しかし「恋水」にと書き違えられたおかげとでもいうべきか。

その言葉が「恋ゆえに流れる涙」へと解釈を転換するあたり、日本語らしいと思えるから不思議だ。

俳句や詩を読むうちにまた、こんな言葉を捜し見つけられたら、それもまた格別な味わいを感じれるだろう。

時間をかけて一句一句、じっくりと噛み締めたいて読みたいと思う。
-INTRODUCTION-

なんとなく、自分に響いたものを取っておきたい一念でこちらに別に綴っていけたなら。
そう思って立ち上げました。

ジャンルもバラバラだし、ある意味一貫性がないかも知れません。

でも、表題の下にあえて書いた文には意味があります。

『水を欲するものはその源を思え』 中国の諺です。

水を飲むのなら、その井戸を掘ったものの努力や願いを思い、水を飲みなさい。

という意味があるそうです。物資豊かな日本で、単純に水道水を通り蛇口から溢れる水に『うまい、まずい』というよりもまず、そこにたどり着くまでの行程や経緯を思い返しなさい。
そういわれているようでなりません。

耳に痛い言葉でもあると思います。

もうひとつ、この文を読んで思うこと。

物事には必ず『始まり』があります。
それは、どこから来たものか。起源や派生、成り立ちにはいろんな思いが込められているかと思います。

記憶力の乏しい自分。

感じたものをどうすれば留められるか、
そして、ここにそれらを書き留めておけたなら、
誰か共感できる方がおられるのでしたら嬉しいです。

自己解釈や主観的な部分が多いかとは思いますが、一日ひとつでも何かを見つけ、ここに載せられるよう心がけ、今の自分が感じたことを留めていきたいと思います。

2007.5.31 はなまま

カレンダー
02 2025/03 04
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
最古記事
-Counter-
最新TB
プロフィール
HN:
はなまま
性別:
非公開
■□■
ブログ内検索
フリーエリア
Copyright © 徒然森の井戸の中 All Rights Reserved.
Powered by NinjaBlog  Material by ラッチェ Template by Kaie
忍者ブログ [PR]