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水を飲まんと欲するものはその源を思え
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歴史上消し去ることのできない負の事象がいくつもある。
当然、戦争はその中のひとつであるが、記憶に刻まれ、消すことのできない出来事。

ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)がある。
いくつかの資料等はいまもなお、出版、あるいは被爆経験を語り継ぐかのように世に叫び続けている。

過去を見ないで未来は語れない。

私の中で、常に思うことである。

特にこの終戦時期になると、それが頭にこびりつき、ついその手の資料を読みむさぼる自分がいる。
なぜ?と聞かれればいまだに自分でもわからない。

アドルフ・ヒトラー作 『我が闘争』 上・下(角川文庫)

まだ読み終えてはいないが、読んでいるうちに同化している自分がどこかにあるのではないかと思うと怖くなり、なかなか活字を追うことができずに読み終えることができない本。

あまりにももっともらしい彼なりの解釈がそこにあるから。
正当にも思えるから、全部読むことが難しい。

(稚拙且つ微弱な自分の精神力か?)

もうひとつ、対照的に読んだ本。

『戦争責任・戦後責任 -日本とドイツとどう違うか-』 (朝日選書)

違うように見えるが、どちらも侵略者には変わりはない。

特筆すべきは戦後のそれぞれの被害者への対応の違い。

戦争は誰が起こしたか?
責任とはどこに当てはめるのか?
被害者はだれか?

それをどこで判断するのか?
軍人恩給の支給は今もある。
当然これらは国民の税金から捻出されている。

中には軍人ではない、との理由から支給されない人もいる。

今なお、議論となる極東軍事裁判。


8月のこの時期になるとこの手の内容が頭から離れなくなる自分。
自分はどこまで、それを追い続けるのか?
何を捜し求めているのか?

いずれにしても、過去を知らずして未来は語れない。
子供たちにも語り継がねばならない。

そう思う8月のこの時期・・・。

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