かつて、『神童』と呼ばれた少年がいた。
また敗戦後、GHQが日本を占領していたころ、アメリカ人達を前に見事にバイオリンを奏で、やがて彼はアメリカへと渡ることになる。
その少年は音楽家を父に持ついわゆるサラブレッドの家庭に生まれ育った。
だが、他の子供たちと違い、楽譜が読めない、センスさえ感じない。
父は何度も叱責し、音楽を叩き込んだが、やはり芽が出ることはなかった。
それでも、何故かバイオリンだけは離そうとせず、父は諦め半分にバイオリンを教え始めた。
…それが彼の不幸の始まりだったのかも知れなかった。
見事に奏でるその能力。人にはない何かを父は感じた。
だが、それは火の吹くようなレッスンの日々だった。
外での遊びは一切できない。
同じ年頃の子供たちと走ったり、飛び跳ねることもできない。
全ては許されない。
彼の一日のレッスン時間は7~8時間に及ぶ。
当時、その少年は僅か5歳であった。
「天才には二種類ある。何気に出来てしまうものと努力し頑張って成長する人間」。
少年は後者のほうと諭した人間は挙って、彼に完璧なバイオリンのテクニックを仕込むべくひたすらレッスンを繰り返した。
やがて、彼の名はアメリカ ジュリアード音楽院にまで轟き、当時アメリカの占領国だった日本から特例中の特例として一人渡米。
再び、地獄のようなレッスンがアメリカで一人、孤独な中、彼を待ち構えていた。
『楽しく弾きたかった。自由に弾きたかった』
彼の意思は悉く無視され、完璧を強いられる。
仕込めば仕込むほど彼の中で『天才』の血が応えてしまう。
数回の自殺未遂。
地獄のレッスン。
その繰り返し。
少年は父に手紙を書いた。
『日本に帰りたい』
父はその手紙を見たが、『もっと頑張れ』とだけ伝え、彼の心の中の悲しみと孤独を汲み取ることはなかった。
そして、それが最後の手紙となった。
結果として自殺未遂となったが、それは彼を人間としても再起不能とさせる決定的なものとなった。
介護無しでは食事もできない。
歩くこともままならない。
その時、彼は16歳だった。
厳しいレッスンを強いる人は誰もいなくなった。
気の向くままに空を見ることを阻むものは誰もいなくなった。
俳人となり、自分をアメリカへとたき付けた父が変わり果てた息子の世話を介護をする。
近年、彼の訃報を耳にした。
『天才』『神童』彼が望んだものは楽しく音楽をしたかっただけだと思う。
父もまた、彼の能力に何か営利を含むものはなかったであろう。
彼の演奏は未だCDやレコードに残されている。
今で言えば、わずか小学生が『神童』と称され、美しく奏でた演奏が音や映像で残されている。
本当の幸せとはなんであるのか。
非凡だから、幸せか。
何が幸せなのか。
考えさせられる物語である。
参考著書 『神童』 山本 茂 著 文藝春秋
Kっち様、こんばんわ♪
お返事が遅くなり、大変失礼しました。
与謝野晶子さんの詩集はよく読みます。彼女の独特の感性はあまりにも『人』としても『女』としても尊敬しております。
また、作品ひとつひとつが胸に響くものがあります。
大正時代は文明開化とは言え、まだまだ自由、言論の取り締まり、戦争と複雑な背景がありましたが、その中で自分に正直に生き抜いた一人の女性だとも思っております。大好きな作家です^^