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水を飲まんと欲するものはその源を思え
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彼は慈善団体の援助の下、孤児院を開いた。
なぜならば、自分の父は精神病で死んだため、いつか自分にも同じ病が発症するのを恐れ、子孫を残さぬよう生涯独身を決めた。故に自分が特定のこの親にならず、すべての子の父親になることを決意し、孤児院を開いたのだ。

彼は『子供たちの人権に関する大憲章』を置いた。

冒頭『子供の死ぬ権利』から始まり、子供への盲目的愛から親が覚醒しなければならないと彼は考えた。
前提なしに親と子供は絶対的に対等であり、子供はすべてを自分で決める権利がある・・・と。

それを許さない時代の中、彼を救わんとする手を彼は振りほどき、最後の最後、その一瞬まで大勢の孤児の父親として毅然とした態度で人の顔をした死神たちの招集に、それはあたかも「遠足に行こう!ピクニックしよう!」と絵本に登場する旗を翻し、子供たちをきちんと整列させ、指示された列車へと乗り込んだ。
その様子は、子供が一人でも怖がらないように、そして何よりも子供たちが一人の人間として尊厳を持っていき続けることが出来るように、彼は先頭に立ち、胸を張って駅まで行進していった。

その様子を見た人によれば、その姿は「貨車に向かう人ではなく、冷酷な体制への無言の抗議のようだった。あんな行進を見たのは初めてだった」と述べている。

その後、彼は子供たちと共にトレブリンカで殺された。

最後の瞬間まで子供たちの父親として、家族として生きた彼。
世界大戦において、ナチスドイツの手によって抹殺された一孤児院でのこと。

彼の残した日記に記されている言葉。

*****

「戦いが終わっても人々はいつまでも問い続けるに違いない。君はどうやって生き延びたか、君はそのとき何をしていたか」
人は「生き延びること」が全てではない。命というものが全てに勝って崇高なものではない。命の必然に従って、生きることを第一に考えることはナチスと同様に、生きるために何をしてもよいという野獣的レベルに自らを貶めることなのだ。何をしても生きてよい、ということではない。人殺しをし、強姦をし、盗みをしても、生きるためならば許されるということはない。

*****

如何に生きたか、が問われる。絶滅収容所から生還した「生き残った人々」は「最も良き人は帰ってこなかった」という。最も良き人たちは収容所の煙突の煙となっていったのだ。

(参考文献 HOLOCAUST 毎日出版社)



故人 ヘンリク・ゴールドシュミット氏

かの有名な『コルチャック先生(ヤヌシュ・コルチャック)』の本名である。

彼の前では、如何なる理由においても『聖戦 ジハード』は決してないと私は思う。

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